【日本の城景】熊本城 美しく雄大この街の礎(産経新聞)

 城を仰ぎ見れば、心が歴史のなかに溶け込む。天守閣だけではなく、石垣も城下町も住む人の気質も、長い時間が編み上げたものだ。新企画「日本の城景」は、城を同心円の中心に置き、日本を再確認する旅である。

 3月末、桜の季節に合わせて、日本三名城のひとつ、熊本城を訪れた。

 石垣の連なりと、早くももえ始めた緑に包まれた広大な城域は、市民の憩う公園になっている。撮影ポイントを求めてひたすら歩いた。天守閣や重文の宇土櫓など随所に見どころが多い。同時に98万平方メートルという広さに汗だくとなった。

 茶臼山と呼ばれるこの一帯は、古くから中世の城があった。戦国時代が終わり、隈本城主となった加藤清正は慶長6(1601)年から同12(1607)年にかけ、熊本城を新たに築き、隈本の名を熊本に改めた。

               * * *

 築城の名手、清正の息吹が最も感じ取れるのは、石垣の前に立ったときだ。清正流と呼ばれる石垣造りは、美しい曲線が傾斜を作る。優雅、そして竣工(しゅんこう)から270年後の西南戦争で薩摩軍を跳ね返した堅固さを併せ持つ。石垣に圧倒され、見とれてしまい、シャッターを押すことを忘れかけた。

 築城とともに政治手腕や戦略にたけた武将、清正の人気は、当時から現代まで衰えを見せない。加藤氏の後に熊本城主となった細川氏は、国入りの際、清正の菩提(ぼだい)寺、本妙寺の方を向いて頭を下げたという逸話も。

 清正の命日前日にあたる7月23日には、同寺で頓写会(とんしゃえ)と呼ばれる法要が行われる。参拝者が約5万人にのぼる熊本の夏の風物詩だ。同寺副住職の池上正示(しょうじ)さん(50)は「今も変わらぬ清正公の人気の証しでしょう。清正公は平和と正義を求めた方であり、熊本の基礎を作った方。市民だけではなく、全国で慕う人は多い」という。今月11日には加藤清正公四百御遠忌記念大法要が行われた。

               * * *

 明治に入って城内の建物の多くが壊されたり焼失した。現在の天守閣は昭和35年に再建された。

 帰り際、市電の停留所に向かう途上で、名残惜しくて振り返った。満開の桜色に縁取られた熊本城の天守閣の背後の青空に、長烏帽子(えぼし)兜を被り、采配を手にした清正の姿が浮かんでみえた。(写真報道局 竹川禎一郎)

                   ◇

 ≪アクセス方法≫

 熊本城へは、JR熊本駅から市電で熊本城前電停下車。徒歩5分。問い合わせは熊本城総合事務所(TEL096・352・5900)。

【関連記事】
高校野球で再確認した指導者像 リーダーシップが勝利のカギ
西郷隆盛軍の「雷管」出土 熊本、西南戦争の激戦地示す
城主手形で殿様気分 熊本城が新サービス
九州・山口から考える「実情」
城人気…私の心、陥落しました
外国人地方参政権問題に一石

女優の三原じゅん子さん、自民が参院選擁立へ(読売新聞)
石川知裕衆院議員、小沢氏の政経セミナーに姿現す(産経新聞)
<鹿嶋市長選>現職の内田氏が接戦制し4選 茨城(毎日新聞)
<桜植樹>南京に5年で千本達成 名古屋の民間グループ(毎日新聞)
救急救命士国試、合格率84%(医療介護CBニュース)
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。